からだを信じて生きてみる

サエグサ流メソッドを知って、からだの声を聴いて、もっと自分らしく! サエグサ龍生(三枝誠)の娘ブログ。

そして、いつもいっぱいのロマンス

 

先日ご縁をいただき、

仏蘭西料理「北島亭」に

連れて行っていただきました。

 

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北島亭と言えば、

フレンチ好きで知らない人はいない

老舗のフランス料理店。

 

 

そのシェフ、北島素幸氏に

初めてお会いしたのは、今年の初め。

小さな新年会に同席させていただき

その熱い熱いお人柄に触れ、

一夜にしてファンになりました。

 

一瞬の出会いや、感動のひと時を

何十年もその密度そのままに

心に留めておられる方で

美しいまでのエナジーカラー白。

青春時代のお話を聞いていたら

シェフの想いが伝って、

ポロポロと泣いている私がいました。

 

 

ご著書「北島素幸のフランス料理

〜僕はトラディショナルを追求する〜」は、

北島素幸のフランス料理ー僕はトラディショナルを追求する

レシピがメインではありながら

後半にはシェフの語り口で書かれた文が

たっぷりめに載っており、

お人柄が伝わってきます。

そこを読むだけでも

“こだわり”という言葉を越えた

ご本人の信条と愛情があふれて

読み手に届いてきます。

 

65歳になった今でも

毎朝、欠かさず築地へ出向き

食材を仕入れてらっしゃるシェフ。

気取らず、ただ真剣に向き合う。

 

トラディショナルを追求されている

シェフの料理は、豪華絢爛なのだけど

お高くとまっているような気配は微塵もなく

むしろ温かい。

歴史が刻まれた店内の雰囲気も相まって、

ほろッとさせる隙までも与えてくれます。

清々しく、潔い生き方が料理に、お店に

沁みているように思えてなりません。

 

 

 

 

ちょうどこの記事を書いている時に、

目の前に飛び込んできた一枚の張り紙。

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人が人らしく だらしなく なさけなく 

でも真剣に いつわらず 純粋に濁らず

けんめいに あくまで猛然とけんめいに

己れのやり方で生きている

そんなドラマをテレビで書きたかった

      「北の国から」 倉本聰

 

そう、まさに、北島シェフの生き方を

表している言葉でした。

 

 

 

 大御所であるシェフが

「もう少し上手になりたい」

と本気で仰るから、もう言葉がありません。

明日からまた頑張らせていただこうと

たくさんの愛情を受け取って想うのでした。

 

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 サインも!!

 

 

北島素幸のフランス料理ー僕はトラディショナルを追求する

北島素幸のフランス料理ー僕はトラディショナルを追求する

 

 

 

 

グルーミングしてますか?

 

洗顔やシャンプーは、毎日する。

という人は多いですよね。

では、爪や耳のお手入れはどうですか?

 

 私の場合は、

手の爪を伸ばすと

指の先が使えなくなるので、整体に不向き。

足の爪を伸ばすと

ケガの原因になるので、合気道に不向き。

なので、爪が少しでも伸びると、

すぐに察知します。

でも耳に対しては、鈍感でした。

 

 

チャンスに強い人は、

グルーミングの大切さを心得ています。

 

 全身の神経を使って、

流れを読んだり、察知するために

日頃から身体を整備しているんですね。

そういう人は、耳そうじの頻度も高い

耳垢が少しでもたまると、

バランス感覚が悪くなるので

すぐに分かるのだそう。

 

 

もともとグルーミングは、

毛づくろいという意味ですが、

ヒトの場合は、爪と毛と垢が対象かなと

勝手に捉えています。

 

さらに。

自分自身に対して行う

セルフグルーミング以外に

他の個体に対して行う

社会的グルーミングがあり、

家族の絆を築いて補強したり、

紛争解決の手段にも用いられたりと

衛生面を超えて、

健康、平和につながる行為なわけです。

 

三枝ワードで言えば、肌IQの高まる行為。

からだの先端まで自分の気が行き届いている

それを、花に水をあげるごとく自然に続ける

こまめに整備し、鋭敏にしておく。

 

そんなからだをしていたら、

自然と運気がいいモノやコト

チャンスが舞い込むように思いませんか?

 

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過去記事も。

nadeshikokana.hatenablog.com

 グルーミングの延長のお話。

nadeshikokana.hatenablog.com

 

 

子守唄は JAZZ...

 

NYに住んでいた頃は、毎週末、

ジャズの生演奏があるレストランに

入り浸っていたものです。

と、いってもまだ小さかった私は、

クランベリージュースを飲みながら

そのうち眠くなって、2つ並べた

固い椅子の上でウトウトするのが常でした。

 

レストランといっても、

とてもカジュアルなカフェみたいな空間で

ムーディな照明と、

外国人の体臭とコロン、タバコの煙、そして

ソウルフードの匂いが入り交じった店内で

心地よく耳に届く、ジャズの音色と振動を

子守唄にして寝ているような子どもでした。

 

そんな環境で育ったので、

ちょっと暗めの照明で、ジャズが流れていると

それだけで落ち着くという子供時代に

音楽の趣味が合う友達はいませんでした。笑

 

 

今では、

丁寧に作られたお酒と共に、

cigarをちょっと吸いながら

心地いい音楽を、照明を落とした場所で

楽しむのが、自分へのご褒美。

 

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あの時の安らぎと穏やかさが甦るから

なのかもしれません。

 


Sarah Vaughan - Lullaby of Birdland

 

 人の幼少期の体験は、

本人が認識している以上に

深く影響を及ぼしているものですね。

 

やさしさとか愛情とか。

 

高校生から助手として働いてきた私は、

うんと年上の方の話を聞く機会が多かった。

話す時間は、一ヶ月に一度くらいの

ちょっとの時間なのだけれど、

ちりも積もれば山となるで、

無知な高校生を相手でも

何年にも渡って顔を合わせてるうちに

家族や伴侶にも話さない

憂いや哀しみ、切ない想い出を

聴くことがありました。

 

そのお気持ちを聴くのも切ないのですが、

心の奥に刻まれたそんな気持ちを

赤の他人の自分が聴いていること自体に

やりきれない想いを持ったものです。

 

 

先日、

数年前に亡くなった会員さんのご自宅に

ご挨拶に伺いました。

奥様とお話をしている間に、

生前お話くださったことが甦り、

懐かしい気持ちに浸っていました。

 

帰り際、思い出したように奥様が

3枚の写真を見せてくれました。

 

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ウィスキーをこよなく愛したその方は、

“聖地”と言われるアイラ島

何度も訪れていたことを初めて知りました。

そして、もしも自分が亡くなったら、

「遺骨をその海に撒いてほしいなぁ」と

つぶやいていたそうです。

 

亡くなってしばらくした頃、

アイラ島の旅に同行していた友人が

ほんの一部だけれど遺骨を持って、

アイラ島に渡り、

ラフロイグの蒸留所に許可をもらって、

目の前の土に埋め、

残りを海に撒いてくれたのだそう。

 

その時の写真を見せられて、

私は涙が止められなかったです。

 

人格者で、人気者で、

成功者と見られていたであろう彼の

孤独や、やるせない想い。

そして、それと共に歩んだからこそ

生まれた優しさや愛情。

そういうものをその人は持っていました。

 

ウィスキーを覚え始めた今なら

もう少し、彼を理解することができたのかも。

そんな思いに駆られながら、

ご自宅を後にしました。

 

 

 

 やさしさとか、愛情とかの言葉の意味が

少しわかった気がした日でした。

 

 

 

どんな日も、道場に。

 

三週間ほど留守にした小樽に

数日だけ戻っていました。

水曜は、道場の稽古に参加。

 

久しぶりの道場で感じることは、

やっぱりいい道場だなぁ

ということ。

 

こんな空間を作り出す師匠は、

やはり凄いのですが

最近は、直接指導する日が少ない中で

道場の空間の心地よさが失われていないのは

指導員、道場生みんなの相乗効果。

 

向上心があって、熱心で、純粋な気持ちを

持っている人と向き合うと、

こちらの熱意もやる気もヒートアップするし

心は洗われ、癒されるものだと思う。

 

個々にテーマはあっても

上達するんだ!という共通の方向性が

あることが、こういう空間のいいところ。

 

人生は、色々あるし、

日によって、テンションもバラバラ。

それでも、

どんな日も、道場に行く。

 

身体の芯を作って、

余計な力みを取り除く作業を繰り返す

それが三枝合気道のベース。

そんな風に、身体を使ってあげると

身体はとても喜んでくれて、

同じ効果が心にも届く。

 

ちょっと乗り気がしない日、

今日は人の顔も見れないなって時も、

道場に行くと、いつものメンバーが

いつものようにそこに居てくれて

いつものように稽古をする。

 

そうすると

道場に行った帰り道は、

とても晴れやかな気持ちになる。

たとえ事態は何も変わらなくても

その爽快感が、明日を繋いでくれる。

 

 

父は、よく

「道場へ行くまでが修行」だと言う。

その言葉通りで、

家族やお家のことを整えて、

仕事や会社のことを整えて、

なんとかかんとか時間を作って行くことが

大変で、だからこそ意味があるんだよ。

あとは、身体を委ねればいいんだよ。と

 

心の元気がない日も、

仕事で頭がパンパンな時も、

人間関係に苦しんでいる時も、

どんな日も、とりあえず、道場に行く。

そういうルーティーンを作っておく。

そうしておくと、また元の “元気” に戻れる。

 

 

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 いつかの道場風景。

 

 

 

 

道着が教えてくれること。

 

そもそも、

なでしこ合気道を始めたきっかけは、

「道着を着ること自体に、まず勇気がいる」

という女性の声を聴いたことからでした。

 

それなら、

武道とまったくご縁が無い方も始めやすい

間口を広げたクラスの提案ということで

道着も着なくてOK♪のヨガ的スタイルで

なでしこ合気道は、スタートしました。

私自身も、始めは出来るだけ道着を着ないで

教えていたのですが…。

 

ヨガウェアの時と、道着の時では、

身体の使い方のバランスが違うのを

何となく感じながらも続けていたわけです。

ところが、ある日、そのギャップの溝が

もう埋められなくなってしまってから

道着姿で教えるようになりました。

 

 

道着を着ることで受ける恩恵は、

大きく三つあります

 

一、丹田が意識しやすくなる

帯を締めることで、

重心が自然と落ちやすくなる

 

一、集中力が増す

ひとたび道着を羽織れば、スイッチが入り、

頭も気持ちも切り替わり、稽古に集中できる

 

一、一体感を産み出す

みんなが道着を着ることで

職業も肩書きも脱ぎ捨てて、

上達という頂きを見据える

ただただ純粋な幼稚園児のような気持ちで

稽古に励むことができ、

それが自然と仲間意識や一体感を育みます。

 

 

 

加えて、もう一つ。

それは、“ 真っ白になる ”

 

白色には、

けがれを払い清らかにする力があるとされ

昔から神事で用いられている色。

道着を着ることで、純粋無垢な心で

まるで神様に奉納するような

謙虚な気持ちになることができます。

 

これはカタチサキ(形先)という概念で

白色を身にまとうことで、

物質から心に働きかけ、誘導するワケです。

カラダを献上するという意味で、

道場では「献体(けんたい)の型」という

オリジナルの型があるほどですが、

達人の技が、神懸かりと表現されるのも

献体状態だからに他ありません。

目指しているのは、それくらいクリアに

“真っ白になる”ことです。

 

合気道は、自分本意なマインドでは

決して上手くいきません。

自意識や自尊心を取っ払って、

初心に帰れる色が選ばれているんですね。

 

白帯もまた、そのような心的作用があり

そんな奥深いシステムまでもが

とても素敵だと思える武道の一面です。

 

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なでしこ合気道は、

もちろん今も道着なしで参加OK!!で

強制はまったくしていませんが

気づけば道着を買われて参加くださっている

姿を拝見すると、嬉しくなっている私です。

 

 

 

昨日は、なでしこ合気道の30回目でした。

30回なんて大したこと無いじゃん

と一蹴されてしまいそうですが、

24時間365日体制、いつ何時でも

ひとたび電話が鳴れば、即出動が当たり前。

そんな助手生活の中で、なでしこ合気道

時間を確保することは、それなりに難儀で、

とても大きな意味を持つ試みでした。

おかげ様で、みなさんに育てて頂きながら

今では、男性クラスを三木師範代が指導する

市民権まで得たことに感慨深い思いでいます

 

昨夜は、初参加の方もいらしたので

これまでのスタイルを少し変え、

一回でも参加した甲斐があるように

三枝メソッドの基本をしっかり練習しました

そして、回数を積み重ねられてきて、

身体の感覚が目覚め始めた常連の方達には

引き続き、その感覚を磨いていただきたく

小樽道場へも積極的に参加できるよう

そのステップになるような指導を心がけて、

年内目標にいたします。

 

 

 

次回のなでしこ合気道は、12月2日(金)

初めての方も勇気を持って是非、どうぞ。

 

 

nadeshikokana.hatenablog.com

 

 

 

アナタがあなたに会いに来る。

 

人は、比べる生き物。

でも、他の誰かと人生を比べても

あまり意味はない。

比べるなら、今世の自分とがいい。

 

記憶というのは、曖昧なもので

時系列を並び替えてしまうことも多々ある。

ましてや、日々の思いつきや、小さな決意は

頭を通り過ぎて、日々の雑念に紛れ

いつのまにか忘れてしまうこともある。

だから、記録をする。

三年日記というアイテムを活用して。

 

 

私は、今年で4冊目。

書き続けて、かれこれ十年になる。

三年日記のメリットは、

去年の自分とすぐに比べることができること

新しいノートに新調した一年目の今年は、

去年と見比べることもなく書いていた。

そんな中、稽古中に師から

三年日記の話が出たので、久しぶりに

過去の自分に会いに、日記を読み返してみた

 

 

毎日が充実していると案外、

日記は密度が薄まるものだし

逆に、ヤケになっている時も

日記なんて更新できないよ、という

心情が見て取れるのも面白い。

 

何のために書くのかと言えば、

それは、最高のライバルで親友の

自分との約束を忘れないため。

加えて言うなら、

“今”を大切に生きられているかを

見るための目安帳かもしれない。

 

 

過去9年の私は、未熟な自分に対して

日々、悔しさを覚えていて

明日に向かって叱咤激励を綴り、

出会ってきた魅力的な人達への純粋な賛美と

そこから希望を見出そうと必死な姿。

未来の自分が読むんだからと、

苦しい時も愚痴で終わらないように

書いているのがいじらしい。笑

 

 

少し前の自分は、

過度に自分を責めていて

勝手に苦しんでいたのを思い出す。

若さのせいかもしれない。

 

日記を読み返してみて、気づいたのは…

そんな自分を救ってくれたのは、

断捨離ライフの試み

それが俯瞰力の筋トレとなり、

削ぎ落とした先に自分なりに見出した

ブログやTwitterを利用した“発信”活動

 

そのおかげで私は、ずいぶん

ラクに生きられるようになったんだなと

今朝、気づかされたところ。

発信することもまた、

客観性を育む作業なのですね。

 

 

 

そんな風に自分を見つめるツールになり得るのが、

三年日記なワケです。

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あなたが、アナタに、会いに行き、

アナタが、あなたに、会いに来る。

落ち合うのは、三年日記の扉の向こう。

 

 

 

今年は、特に劇的な一年で

出逢いに感謝するばかりの私です。

 

あなたも、始めてみませんか?

 

 

 

 

具体的に何を書くか、のヒントは過去記事からどうぞ。