からだを信じて生きてみる

サエグサ流メソッドを知って、からだの声を聴いて、もっと自分らしく! サエグサ龍生(三枝誠)の娘ブログ。

人は、海藻。

 

人は、ゆらゆら揺れている。

ピンッ!と立っているつもりでも

人は、揺れながら立っている。

 

例えば、

橋は揺れるように設計されている。

揺れることで、加わる力を分散させ

重みに耐えられるように出来ている。

揺れなければポキッと折れてしまうから。

 

 

野口体操の野口三千三(みちそう)氏は、

こんな風に、人体を表現しました。

「生きている人間のからだ、

それは皮膚という生きた袋の中に、

液体的なものがいっぱい入っていて、

その中に骨も内臓も浮かんでいるのだ」

原初生命体としての人間 ― 野口体操の理論(岩波現代文庫)

原初生命体としての人間 ― 野口体操の理論(岩波現代文庫)

 

 

骨格を見て、固体的なイメージを

持ちやすい人体に対して

頭を叩かれたみたいな衝撃的な描写。

圧巻の表現力。

からだと向き合うことをしてきた人には

なんとなく、腑に落ちるかもしれませんが

そうでない人には、極端に聞こえそうです。

 

でも、本当は

それだけ柔らかく、変幻自在ということ。


 

女性の身体を観察していると

肩や上腕を力んで使う人が

とても多い印象をもちます。

私もひとごとではなく。

特に、気負いやすい頑張りやさんは

小さい時から無意識に力んでいますね。

 

肩や腕にばかり力が入ると

いかり肩になり

自然と重心が上がり

ソワソワしやすかったり

緊張を高めてしまいます。

 

 

 重心をおヘソの下あたりに落とす。

さらに、イメージでいいので

足の裏まで落としてみる。

からだの半分以上は、水分だから

からだの中の水が微かに動いて、

全体がゆらゆらとほんの少しゆらぐ。

そんな風に立てるといいですね。

 そう、海藻みたいに。

 

からだはフワッと感じられて

呼吸も深くなって

肩の力も抜けてくる。

ゆらぎに身を任せてみると

ゆらりと感じる。

ゆるやかでしなやか。

強い水流を全身で受けても

へっちゃらな海藻みたいに。

 

その上、人には足がついている。

移動ができる。行動できる。

迷って、間違って、道を逸れたら

自分の足で戻ればいい。

 

ゆれたら、その分、ゆれ戻って

また歩き出せばいい。

タフに、しなやかに。

 

一貫していてブレがない

そんな強さに憧れていたけど。

たまに、弱音を吐いたりして

断捨離に勤しんだりして

目を覚まして、ふんどし締め直して

静かなゆらぎを感じながら

前を向いていけばいい。

 

 

からだも、心も、思考も

そんな風でいいんじゃないか。

と最近思うのです。

 

 

 

 

やました先生のブログ記事を読んで、

妙にホッとしたのでした。

ameblo.jp

 

 

間合いは、ただ一点。

 

“手放し”修行を通して、

間合いについても勉強させられる。

 

断捨離をしていると

モノとの“今”の

適切な距離感を見つけられる。

以前はあんなに重宝していたのに

今は全くその時の価値を感じないモノ。

もちろん、その逆もあるし

必要と思っていたのに、

とうとう出番もなく手放しの対象になる事も

 

残酷なほど、実は明瞭で

でもそれをなんとか見ないでいたい

何かが人それぞれにある。

 

それを研ぎ澄ますのが断捨離であって、

本能はとっくに答えを持っている。

 

モノとの距離感だけではなく、

ヒトとの距離感もまた、同じ。

 

意気投合すると、どんどん近づきたくなる。

でも距離を見間違うと関係は崩れる。

少し人生経験を積んでくると

人との絶妙な適正距離が見えてきたりする。

自然とやってのける人もいるし、

コツがわかってコントロールできる人もいる。

 

その絶妙な適正距離というのは、

変化していくもの。

そこが面白みでもあり、

混乱する所以でもあるわけです。

 

いつも“今”を見る訓練をさせてくれる断捨離は

関係性において適正距離が変化することは

ごく自然であると身をもって教えてくれる。

 

間合いがあるのは、

寂しいことでもなくて

一番心地いい距離感というのがある

というだけ。

それ以上近くても、遠くても

心地よさはイマイチなのです。

 

合気道では、

その時(=“今”)の

相手との正しい間合いは、ただ一点。

総ての条件がピタリと揃う範囲は一つで

それは、点のようにそこに在る。

そんな風に感じています。

 

その一点を一瞬で見抜き、

瞬時に体現できるのが達人で

私は、合気道を通して

その“一点”をとことん知りたい、

そして味わいたいのだろうと思います。

 

 

もちろん、

限りなく近い間合いというのが存在して

だから人は、そんな対象に出逢うと

特別な想いを持ち、

いつまでも大切にしたいと思うのでしょう。

 

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実は、その時こそ、

間合いの学びを最大限に発揮する時

なのです。

 

 

 

 

 

告白する。

 

告白まで行かなくとも

打ち明けることも

one out の一つ。

 

coming out という単語があるくらいですし

日本語だと、“白” や “明るい”という

漢字がつくのが面白いですね。

 

押し入れの中身もそうですが、

自分の感情の押し入れも

風通しをよくしておくこと。

我慢や遠慮、自制心が美徳とされがちですが

からだにとってはあまりよくありません。

 

自分の抱えている感情を

目の前の風呂敷に並べて出したら

とんでもないことになる…

“気”になるものですが、

これも本当は大したことではないはず。

しかも、獲れたてピチピチの感情は、

余計なものが覆い被さっていないので

透明度が高く、案外、サラリとしています。

激高したかと思ったら、数秒後は

ケロリとして笑っていられたらいいですね。

 

シンプルなことだけど、

喜怒哀楽を表現すること

現代人にとって特に大切だと感じます。

one out, one in を実行すると

自分の感情も頭角を現してきます。

「こういうこと、私、嫌なんだな」とか

「本当はすっごく悲しいな」などと。

モヤが取れて、本来の自分に会える。

 

自分の抱えている感情や、問題を

誰かに打ち明けることで、

考えていたほどの問題ではないと気づいたり

頭の中が整理されたり、軽くなったり

期待をしていなかった名答が返ってきたりします。

これも、断捨離の効能。

 

打ち明ける相手が

答えを持っていそうになくてもよくて、

むしろ、大切なのは、

自分と相手とが心地よい関係にその時あるか

ということ。

誰でも、いい時と悪い時があり、

その時、お互いがちょうどよい間合いにあると

思いがけないヒントやサインを受け取れるもの。

 

人生って本当に不思議なものです。

 

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私は、この断捨離の旅の途中で

何度、そのサインを受け取り

涙を流したことでしょう。

ご縁に感謝するばかり。

 

 

断捨離シリーズは、まだつづく。

 

 

動きだす、one in.

 

手放しが先にあって、

それから迎え入れるという意味の

One out, one in.

 

one in = 迎え入れる

と、表現してきたのは、

手放すと、自然と入ってくるから。

 

モノを手放すと、

感情や想いを受け取ったり

新しい情報が入ってきたり

人からプレゼントとして受け取ったり。

導かれていく。

 

“サイン” はいつも、発信されていて

でも、隙間がないと、

サインはあなたの元に届きにくい。

あなたがサインに気がついても

列車が走り出してしまったり、

目の前の対処に追われて間に合わなかったり

 

“隙間” をもっと整備して

“空間” を作り出せたら

one in は、動きだす。

 

今回は、all out, all in.

の気持ちで臨んでいるので

できるだけ、自分から買ったり、

取り入れたりするのを控えていた。

 

それでも、

断捨離の途中でも、それは動き出した。

 

「この先、私はどこへ向かいたいか

どんな生活がしたいか」と考えた時

何も思い浮かばなかった数ヶ月前。

そのヒントが入ってきたのです。

 

一つは、

自分を置きたい環境のこと。

 

車で出掛けた山奥の空気を吸い込んだ私は、

ふと「こういう所に身を置きたい」と思った

心地いい湿度のマイナスイオンを感じる環境を

“今”の私は求めている。

 

車に入り込んでくる風を吸って

「ここなら思いっきり息ができる」

嗅覚がかなり敏感な私は、ニオイにうるさく

そのため日頃から、

なかなか安心して息を吸い込めない。

嗅覚の敏感さは妊娠中の女性に近いのだと思う

「こんな空気なら、呼吸が深くなるなぁ」

 

久しぶりに聞いた、

自分の内側からの声に

言いようのない安堵感。

トンネルに光が差しはじめた瞬間だった。

 

one in は、

こんな風にスーッと無理なく届けられる。

 

現状に都合の悪い情報やサインを

人は無意識に遮ったり、遠ざけたりして

見ようとしないもの。

指摘されたら怒ってしまうこともある。

それは、その情報やサインを

どう受け止め、処理し、落とし込めばいいか

分からないから。

もしくは、その自信がないから。

 

仕事とも関わることだから、

住む環境は単独に考えにくく、

立場や自分との約束もある。

 

だけど断捨離モードになっていれば

情報やサインをそのままに見ることができる

慌てず騒がず、ただそのままに。

 

受け取ろうと思えば、受け取れる余裕があり

断ろうと思えば、見届けることもできる。

それが “俯瞰力”ということなのでしょう。

 

新・生き方術 俯瞰力 続・断捨離

 

一旦、one in が動きだすと

ポンッポンッと

気づきの連投のように

目の前に届きはじめる。

確実にいつもとは違う

スピード、シチュエーションが

見ていて面白いほど。

 

 

空間のスペシャリスト、やました先生のこの本が “今の私” のお守り。

モノが減ると、家事も減る 家事の断捨離

モノが減ると、家事も減る 家事の断捨離

 

 

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表紙に写るやました先生を見て

4歳の姪っ子が「あ、かなしゃんだ!!」と

指差して言ったのも

「その調子、いい感じだよ。」

なんていうサインに聞こえたりして。

 

 

なでしこ倶楽部、日程変更のお知らせ。

直前のお知らせになりましたが、

今月のなでしこ倶楽部の日程変更のお知らせです。

今月は、27日(木)に開催します。

 

第3回『なでしこ倶楽部』
とき:7月27日(木)13:30〜15:00 
  (13:00開場/15:30閉館)
ところ:北海道小樽市稲穂3-22-11
  龍宮神社 いなほ記念会館「武揚の間」
参加費:3,000円
*以下の方は、割引きあり。
・札幌からの参加者は、−500円割
・月謝払いのご家族の方は、半額
・ご本人が月謝払いの方は、無料

申込み:予約制。
以下の申込みフォーム、またはメールでお申込みを。
https://www.secure-cloud.jp/sf/1468110526ZqoBvUdn
**お使いの機種によって、フォームの表示がエラーになることがあります。その際はコメントください

持ち物:動きやすいお着替えもしくは服装でご参加ください(更衣室あります。)

 

 

すでにお申込みいただいた方にはご連絡させていただきました。

ご迷惑をおかけしますが、どうぞよろしくお願いします。
 

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変化をもたらすほどの決断。

 

出張よりも断捨離を優先させてもらえ

本格的な断捨離を開始。

経験上、断捨離は焦ってやるものではなく

効率や手っ取り早さを求めてもいけない。

 

武道では“結論を急がない”ように、

断捨離も同じ。

 

はじめは、

ウォームアップ程度にどうみても不要で

ただ残されていただけのものを手放す。

全体的に把握が済んだら、もう一段階踏み込む

“今”、必要か。

分からないものは、次の段階まで残す。

 

断捨離が進むと、感覚が研ぎ澄まされてきて

「さっきのアレは、やっぱり不要だった」と

さらにハッキリ見えてくる。

そんな時は、手をつけているものがあっても

すかさず、“さっきのアレ”を捨てる。

 

次から次に敵をさばくように、

連続的に決断を繰り返す。

とてもじゃないけど、ヤワな作業ではない。

 

決断の際に、ジワッと汗が噴き出る瞬間がある

そんな時は、「あぁ、キタッ!!」と思う。

現状維持能力を持つ顕在意識が焦っている証。

ものによっては、

これからの生き方を明確に示すような

自分に真っ向から宣言をするような

決断の場面がある。

 

例えば、前職のモノや、

元パートナーのモノ

過去の栄光を示すモノ。

無くなっても、その事実は変わらないし

思い出も心の中からは消えない。

 

手放せないということは、

もう、ソレ以上の体験や想い出を

経験することが自分にはできない

潜在意識に伝えているようなもの。

 

でも、本当はそうじゃない。

ブレーキは自分がかけてしまっているし

手元に置いておくことで

新しいモノは、入ってこれない。

ましては、迎える準備もできない。

 

ジワッと汗が出るということは、

それだけ思い入れがあった証だし、

それだけの密度ある時間を過ごせた

経験値を表している。

どちらも、素敵なこと。

 

それを再確認できたら、

もう、手放していい時だ。

 

それは、近い将来に

変化をもたらすほどの決断だから。

 

 

手放してなお、

自分にとってそれがいかに

大きな存在だったかをも、

思い知らされる時がある。

 

でも、それって人間らしくて素敵じゃないか。

と私には思える。

 

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断捨離の旅は、まだつづく。

 

 

 

 「結論を急がない。」の記事はこちら。