からだを信じて生きてみる

サエグサ流メソッドを知って、からだの声を聴いて、もっと自分らしく! サエグサ龍生(三枝誠)の娘ブログ。

人生は、ちょうどよく来ない

 

 

『人生は、ちょうどよく来ない』

 

父がよく口にする言葉。

例えば、飲食店で、閑古鳥が鳴く日もあれば、

満席の上、さらにお客さんが来て

断らなければならないくらい繁盛する日があるように

お客さんはまんべんなく来ないという。

 

 

人生もまた、そうなのかもしれない。

結婚適齢期には、自分に合うタイプが分からないものだし、

結婚したカップルは、共同生活のバランスが分からないものだし、

子育て中は、子育ての答えが見つからないものだ。

それは、きっと年寄りになった時も同じで

年寄りは、年寄りの生き方を模索しながら生きていくのだ。

いつでも正解なんて分からなくて

理想通りに行くものではないのだと思っている。

 

その時期が過ぎた頃に、

なんとなく自分の中での答えが出て来たり

感覚が生まれたりするのだけど、

その頃には、

実践するには、ちょっと遅いくらいなのだ。

 

あとで、振り返って、

「ああすればもっと良かったのに。」

「こうすれば、もっと上手くやれたのに。」

「今なら、こういう選択をするのに。」

なんて、大人達が言うのをよく耳にするけれど、

でも、当時の当人達は、それが精一杯だったはずで

完璧になんて出来なくて当然なんだ。

 

人生は、きっと、そうできているんだ。

神様が人間を作ったとするなら、

そこまで絶妙に設計した事に、感心してしまう。

 

 

神の計らいからしても、

人間関係も、合気道も同じで、

ズレが大事だ。

 

相手が求めていることをそのまま提供しても受け入れられず

ちょっとズラすと、すんなり入っていける。

技を稽古すると、よく分かる話なのだけど。

 

恋愛中のカップルだって、

仲良しの夫婦だって、

子を叱る母親だって、

お互いの“ 間 ”に、ちょっとズレがあると上手くいくものだ。

 

ピタッと揃えば、気持ちいいんじゃないかと想像して、

それを要求しがちだけど、

ピタッと揃ったら、あとは崩れるだけなんだ。

ピタッと期間 が長く続く場合もあるけれど、

完成してしまうと、後は、

壊れたり、崩れたりする以外無い。

 

徒競走では、ゴールを目指すように習うけど

社会に出れば、ゴールは通過点でしかないことを知る。

だから、

ピタッと揃えることに躍起になるものじゃない。

 

それを父は、

『 合わせない 合わせ方 』と呼んでいる。

 

 

 

ちょっと先を生きるんだ。

フライング気味に生きていいのだ。

答えが分かるころには、もう適齢期ではないのだから。

試し試し、生きればいいのだ。

 

 

“ 死 ”は、あの世と、この世の境目。

ただそれだけ。だという

ならば、自分の人生は、生き切ろうじゃないか。

失敗を恐れず、あの人やこの人と繋がったりみたりして、

時には、それまでの考え方を覆してもいいから、

未完成な自分を笑いながら、かばって、応援してあげよう。

 

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そんなことに気がつくと、

つくづく人生は、面白いなと思う。

人間を、やめられないじゃないか。