からだを信じて生きてみる

サエグサ流メソッドを知って、からだの声を聴いて、もっと自分らしく! サエグサ龍生(三枝誠)の娘ブログ。

チェンマイと“手放し”の連鎖。

 

タイは、チェンマイに出掛けていました。

と言っても、

デトックスツアー。

 

ひたすら、腸と肝臓や胆のうに溜まった

毒素を絞り出すために

あらゆるメニューをこなす数日間。

 

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食を断ち、

口からは、ハーブやジュースやお茶

お尻からは、コーヒーやお水

それぞれの援軍の力を借りて

とにかくからだに溜め込んできたものを出す。

 

まさに、体内の断捨離。

 

 

最後に出たものは、

死滅したがん細胞、

戦いを終えた白血球、

肝脂肪と、

コロコロした胆石。

 

上出来。

 

* * *

 

体内がスッキリして、

変わったこと。

 

それは、執着が二つ解けたこと。

それも今思えば、

熱望するほど、

執着があった二つのこと。

 

一度は、諦めていたのに。

いえ、諦めていたからこそ

手に入りそうになったら

期待が膨らんで

“願い”がすっかり“執着”に変わっていて

その執着心すら、

認識しきれていなかったことに

はたと気づかされた。

 

 

合気道の稽古も、

初めは真摯な気持ちでいられても

一旦、技がかかり出すと

欲が出て

グッと力が入ってしまうことは

日常茶飯事。

 

すると、途端に、

技は効力を無くす。

 

 

そんなことは

散々、

思い知らされている。

 

よくよく分かっていても、

それでも。

熱望していたものほど

冷静さを欠いてしまうものだ。

 

 * * *

 

 大人になると

何かと荷が増える。

両手が常にふさがったような状況も

珍しくなくなり

負荷さえも当たり前と

思い込んでしまうことだってある。

 

でも、手放さなければ

新しいものは入ってこない。

 

両手がふさがっていたら、

目の前で転んだ子供を

すぐに抱きかかえることができないように。

 

その時、本当に必要なものがあった時に

対応できないのでは悲しすぎる。

だから、断捨離は素晴らしい知恵だ。

 

モノに対する断捨離も、

想いが強いものほど決断できずに

先延ばししてしまうことがある。

部屋がそれなりに片付いていると

空間も余っているので

甘んじてしまうのだ。

 

でも

そこを突破しなければ

そこに向き合わなければ

新しい扉は、開かない。

 

 

有難いことに、

 デトックスツアーで

からだが溜めていたものを

強制断捨離させてもらえた。

 

 

からだが変われば

思考もその影響を受ける。

 

 

 “手放し”の連鎖が

私にもたらした思考の変化は

想像を超えるものでした。

 

 

 

 

体力を要したこのプロセスが

実は、始まりに過ぎないことを

肌で感じながら、

 この先に続く

“手放し”の連鎖が見せる景色を

私は、目を逸らさずに見据えよう。

 

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 チェンマイの片田舎の穏やかな風景。

 

 

 

 “手放し”に関する過去記事も。

 

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