ひょうたん猿のハナシ。
昔、どこかで読んだ
「 ひょうたん猿 」の話は、大人になってもよく思い出す。
そう、特に “ 手放すこと ” を意識する時。
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「 ひょうたん猿 」
アルジェリアのカビール地方の農民は、
ひょうたんを木にしっかりとくくりつけ、中に米粒を入れておく。
ひょうたんには、サルの手がちょうど入るくらいの穴が開いている。
夜になると、サルは木のところに来て
ひょうたんの穴に手を突っ込み、米粒をわしづかみにする。
そして、握った手をそのまま引き抜こうとするのだが、きつくて抜けない。
手をゆるめればいいのに、そこまで知恵が回らないのだ。
夜が明けると農民に生け捕りにされるわけだが、
その時のサルは、米粒をしっかり握りしめたまま
実に、間の抜けた顔をしているという。
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こんなお話です。
これを読んで、
あなたは何を思いますか?
猿も人間も変わりません
米粒を手放せば、自由は手に入るのに
目の前のことに居着いてしまって
気づくタイミングすら逸してしまっている
私たちにだって、よくあること
でも、はたから見れば、何とももったいない話。
この話の猿に至っては、生命の危機に関わることでした
手放せば、
手に入れられる別のものがある。
自分が何かに集中してしまっている気がしたなら、
「ひょうたん猿」の話を思い出してみてください。
落ち着いて、自分を眺めたとき、
違う答えが浮かぶかもしれません。
そう、明日は我が身です。