からだを信じて生きてみる

サエグサ流メソッドを知って、からだの声を聴いて、もっと自分らしく! サエグサ龍生(三枝誠)の娘ブログ。

あなたに相応しいものは、何ですか?


ー 祖母の家を片付けたら、
押し入れの中が、「粗品」のタオルでいっぱいだった ー

という友人の話を聞いた時には、妙に納得したことを覚えている。


「粗品」のタオルって
何かの時に役立ちそうだし
使い捨て気分で使えるし
お客さんが来たら渡せるし
etc,
で、やっぱり便利そうだ。


だけど、その出番は、
本当にやってくるのだろうか。。。
“粗品のタオル”をもらうペースで、、、


父の言葉に、
「役に立ちそうで、立たないものは、
全く役に立たないものより、悪質である。」
というのがある。

この場合は、“粗品のタオル”=悪質というよりも、
無意識・無自覚なその需要と供給にあると思う。
もちろん、お役に立って、消耗されるタオルもあるだろう。
しかし、その大半は、おばあさんの押し入れの中のタオルと同じ運命にある。

ずっと同じ場所に留まれば
モノも溜まる、気の流れも滞りやすくなる。
そういうものだ。


私がモノをあまり持たずに来れたのは
これまで、引越しの多い人生だったからかもしれない。
だから、はじめて「断捨離」に出会った時には
すごく共感して、興奮したのを覚えている。
“自分と同じ感覚の人がいる!” そんな風に、嬉しかった。

これまで、自分が確立していた
一種の感覚のようなモノへの捉え方や分別が、
言語化されていて、その清涼感がたまらなかった。

そして、さらに
「今の私に相応しい」モノ選び
と書かれたページに
心をわしづかみにされた。


自分に相応しいかどうか、
なんてそんな高飛車なこと
考えるわけないじゃない。と思った。

でも、待てよ。と

頂いた高級タオルを化粧箱からも出さず押し入れに詰めて、
それこそどこかでもらった粗品タオルで体を拭いて。

いつか来るはずの上客のために、
オシャレで高級なお皿を食器棚にしまい込み
狭くなった食器棚の、手前の方に置かれた、
100均のお皿を、自分は使って食べているとか。

そういうことを私たちは平気でやってしまいがちで。
自分は、粗品と100均が似合う人間なのだと、
声高に宣言していたことに気がつく。

 

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自分を置いている環境に
無意識・無自覚でいることは、
とてもモッタイナイことだ。

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なぜなら、私達は、無意識にモノ・人・場所から影響を受けるから。
それは波動とか、エネルギーとか、気などと呼ばれてたりするけれど
不確かでなく、確実に影響を受けている。
いわゆる“潜在意識”にも、働きかけてしまうのだ。


モノを減らすと、身の回りのモノが浮き上がるように見えてくる。
「私は、あなたにとって、相応しいですか?」
ペンや本、お皿やシャツまで、
どれもこれも、そう、問いかけてくるようになる。
そうして、選別していって
自分に相応しいものに囲まれているうちに、
本当の自分が見えてくる。
自分の心のあり方や考え方。
将来についても。
モヤみたいのが消えて、やるべきことがハッキリしてきて、
寄り道がずいぶん減るものだ。



一度、味を占めると、これはクセになる。
とてもいいクセだと思う。

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そう、このページ。
拡大して、デスクの前に貼っていた26才の冬。

その先に待ち構える「断捨離」の威力を
彼女は、まだ知らないでいた。

 

新・片づけ術「断捨離」

新・片づけ術「断捨離」