質量のある言葉と出会う。
ネットで情報がインスタントに手に入る時代だからこそ、
言葉というものが軽くなって、
検索一つで、モノゴトを理解できた気になれる。
そんな時代だ。
情報が瞬時に手に入ることは、便利だし、とても有難い。
けれど、時間をかけてゆっくりと吸収し、
咀嚼し、理解して、身になることがある。
そういう経験を積んだ人の言葉は、深くて、重い。
言葉には、質量があるのだと思う。
私が質量を感じる言葉に、
「断捨離(だんしゃり)」がある。
読みがなを書く必要は、なかったかもしれない。
それくらい、今では、認知度が高い。
しかし、認知度と理解は比例しない。
前回少しあいまいに書いた部分がある。
それは、「今の私に相応しい」モノ選びについて。
実は、「なりたい自分に相応しい」モノ選びだと記憶していた。
本を読み返したら、“今”の私と書いてあった。
断捨離の行程を辿っていくと、本当の自分に会えるようになる。
それは、会いたくなかった自己否定的な自分かもしれないし、
いろんな過去を引きずっている未練がましい自分かもしれない。
でもそれは、ご対面した時の一瞬の顔であり、
断捨離が進むと、
意外と変われる自分、頼れる自分、
思い込みが強かっただけで本当は自立できる自分など。
そういう色んな顔が見られるようになる。
そして、
その行程を見守ってこれた自分に、自信が湧いてくるようになる。
すると、自己肯定的な思考が高まってきて、
「今の私に相応しい」モノは、
「なりたい自分に相応しい」モノだと感じられるようになる。
ここまで来れば、自分を大切に想うことができて、
相手のことも許すことができるようになってくる。
そして、「なりたい自分に相応しい」モノに囲まれているうちに
まさに「なりたい自分」に近づいていることに気がつくはずだ
私は、断捨離を知って、
より自分を好きになれたし、
自分をご機嫌にさせることで、人にも優しくなれたと思う。
質量のある言葉に出逢えることは、
言葉を使用する人間として、喜びだ。
まだ道半ばの私が断捨離を語るのも気が引けるけれど、
断捨離は、奥が深いんだよなぁ。