やさしさとか愛情とか。
高校生から助手として働いてきた私は、
うんと年上の方の話を聞く機会が多かった。
話す時間は、一ヶ月に一度くらいの
ちょっとの時間なのだけれど、
ちりも積もれば山となるで、
無知な高校生を相手でも
何年にも渡って顔を合わせてるうちに
家族や伴侶にも話さない
憂いや哀しみ、切ない想い出を
聴くことがありました。
そのお気持ちを聴くのも切ないのですが、
心の奥に刻まれたそんな気持ちを
赤の他人の自分が聴いていること自体に
やりきれない想いを持ったものです。
先日、
数年前に亡くなった会員さんのご自宅に
ご挨拶に伺いました。
奥様とお話をしている間に、
生前お話くださったことが甦り、
懐かしい気持ちに浸っていました。
帰り際、思い出したように奥様が
3枚の写真を見せてくれました。
ウィスキーをこよなく愛したその方は、
“聖地”と言われるアイラ島を
何度も訪れていたことを初めて知りました。
そして、もしも自分が亡くなったら、
「遺骨をその海に撒いてほしいなぁ」と
つぶやいていたそうです。
亡くなってしばらくした頃、
アイラ島の旅に同行していた友人が
ほんの一部だけれど遺骨を持って、
アイラ島に渡り、
ラフロイグの蒸留所に許可をもらって、
目の前の土に埋め、
残りを海に撒いてくれたのだそう。
その時の写真を見せられて、
私は涙が止められなかったです。
人格者で、人気者で、
成功者と見られていたであろう彼の
孤独や、やるせない想い。
そして、それと共に歩んだからこそ
生まれた優しさや愛情。
そういうものをその人は持っていました。
ウィスキーを覚え始めた今なら
もう少し、彼を理解することができたのかも。
そんな思いに駆られながら、
ご自宅を後にしました。
やさしさとか、愛情とかの言葉の意味が
少しわかった気がした日でした。