からだを信じて生きてみる

サエグサ流メソッドを知って、からだの声を聴いて、もっと自分らしく! サエグサ龍生(三枝誠)の娘ブログ。

one out の余白。

 

“ One out, one in. ”

 

手放しが先にあって、

それから、新しいものを迎え入れる。

 

呼吸法の原則も同じで

息をたくさん吸おうと思ったら

まず、息を吐ききることと教えられる。

 

古い靴を手放すと

不便さを感じる。

でも、その不便さもたかが知れていて、

同時に、靴の有難さも感じることができる。

その靴が大して好みでもなく履いていたのか

すごく自分の好みだったのか、

手放すことで、“自分”が見えてくる。

本当は、見栄で買ったパンプスだったとか

プレゼントしてくれた気持ちが嬉しくて

手放せないでいたものだったとか。

“そうか、自分は見栄張るとこあるもんね、

その人の気持ちが嬉しかったんだよね”と

自分と会話できる。

 

モノが無くなっても、

モノを介して得るものがある。

one out には、その余白がある。

 

先に新しい靴を手に入れていたら、

そんなことを感じる余地もなく

自分を再認識するチャンスを得られない。

 

もちろん、

これは靴に限ったことではなくて。

one out は、

物、人、場所、時においても

これまで自分が気がつかなかった

もしくは、忘れていた感情や想い、信条を

見せてくれる。

 

「靴がなかったら、外を歩けないよ」

とツッコミを入れてくださった方がいたら

その人にとって、靴は

外に出るための道具であって、

それ以上でもそれ以下でもなく

破れたり、壊れたりしたら買い替えるもの。

そういう価値観を自分は持っている

ということがハッキリする。

経済的理由で一足しか持てないでいる人も

いるかもしれない。

お金があれば、違う何かを買うとするならば

その人にとってもっと大事なモノに気づける

 

そんな風に、

優先順位や価値観の再認識ができるのも、

one out の余白のチカラ。

 

 

今回は、長年その存在を問われずにいた

沢山のモノに向き合うことにした。

会社のモノや家族が残したものを含めて

禁断のエリアに足を踏み入れ、

想いを汲みながら、ジャッジを進める。

「今、このコロニーに相応しいモノ」を

境界線を探りながら。

 

人と自分とは、結局のところ他人なわけで

いくら親子でも夫婦でも、

思い入れを完全把握することはできない。

だから普通は、相手の領域への着手は禁物。

でも、同時に、環境も人それぞれ。

 

 今回は、

「私がやらずに誰がやる!」と奮起しつつ、

同時に、とてもデリケートであることを

常に言い聞かせ、思いやりをもって、

「ありがとう」を伝えながら手放していく。

その人の代わりに“さようなら”を担当した者として

そのアフターケアまでを

責任を持って行うと覚悟を固めながら

進めていったのです。

 

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つづく。