からだを信じて生きてみる

サエグサ流メソッドを知って、からだの声を聴いて、もっと自分らしく! サエグサ龍生(三枝誠)の娘ブログ。

子守唄は JAZZ...

 

NYに住んでいた頃は、毎週末、

ジャズの生演奏があるレストランに

入り浸っていたものです。

と、いってもまだ小さかった私は、

クランベリージュースを飲みながら

そのうち眠くなって、2つ並べた

固い椅子の上でウトウトするのが常でした。

 

レストランといっても、

とてもカジュアルなカフェみたいな空間で

ムーディな照明と、

外国人の体臭とコロン、タバコの煙、そして

ソウルフードの匂いが入り交じった店内で

心地よく耳に届く、ジャズの音色と振動を

子守唄にして寝ているような子どもでした。

 

そんな環境で育ったので、

ちょっと暗めの照明で、ジャズが流れていると

それだけで落ち着くという子供時代に

音楽の趣味が合う友達はいませんでした。笑

 

 

今では、

丁寧に作られたお酒と共に、

cigarをちょっと吸いながら

心地いい音楽を、照明を落とした場所で

楽しむのが、自分へのご褒美。

 

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あの時の安らぎと穏やかさが甦るから

なのかもしれません。

 


Sarah Vaughan - Lullaby of Birdland

 

 人の幼少期の体験は、

本人が認識している以上に

深く影響を及ぼしているものですね。

 

やさしさとか愛情とか。

 

高校生から助手として働いてきた私は、

うんと年上の方の話を聞く機会が多かった。

話す時間は、一ヶ月に一度くらいの

ちょっとの時間なのだけれど、

ちりも積もれば山となるで、

無知な高校生を相手でも

何年にも渡って顔を合わせてるうちに

家族や伴侶にも話さない

憂いや哀しみ、切ない想い出を

聴くことがありました。

 

そのお気持ちを聴くのも切ないのですが、

心の奥に刻まれたそんな気持ちを

赤の他人の自分が聴いていること自体に

やりきれない想いを持ったものです。

 

 

先日、

数年前に亡くなった会員さんのご自宅に

ご挨拶に伺いました。

奥様とお話をしている間に、

生前お話くださったことが甦り、

懐かしい気持ちに浸っていました。

 

帰り際、思い出したように奥様が

3枚の写真を見せてくれました。

 

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ウィスキーをこよなく愛したその方は、

“聖地”と言われるアイラ島

何度も訪れていたことを初めて知りました。

そして、もしも自分が亡くなったら、

「遺骨をその海に撒いてほしいなぁ」と

つぶやいていたそうです。

 

亡くなってしばらくした頃、

アイラ島の旅に同行していた友人が

ほんの一部だけれど遺骨を持って、

アイラ島に渡り、

ラフロイグの蒸留所に許可をもらって、

目の前の土に埋め、

残りを海に撒いてくれたのだそう。

 

その時の写真を見せられて、

私は涙が止められなかったです。

 

人格者で、人気者で、

成功者と見られていたであろう彼の

孤独や、やるせない想い。

そして、それと共に歩んだからこそ

生まれた優しさや愛情。

そういうものをその人は持っていました。

 

ウィスキーを覚え始めた今なら

もう少し、彼を理解することができたのかも。

そんな思いに駆られながら、

ご自宅を後にしました。

 

 

 

 やさしさとか、愛情とかの言葉の意味が

少しわかった気がした日でした。

 

 

 

どんな日も、道場に。

 

三週間ほど留守にした小樽に

数日だけ戻っていました。

水曜は、道場の稽古に参加。

 

久しぶりの道場で感じることは、

やっぱりいい道場だなぁ

ということ。

 

こんな空間を作り出す師匠は、

やはり凄いのですが

最近は、直接指導する日が少ない中で

道場の空間の心地よさが失われていないのは

指導員、道場生みんなの相乗効果。

 

向上心があって、熱心で、純粋な気持ちを

持っている人と向き合うと、

こちらの熱意もやる気もヒートアップするし

心は洗われ、癒されるものだと思う。

 

個々にテーマはあっても

上達するんだ!という共通の方向性が

あることが、こういう空間のいいところ。

 

人生は、色々あるし、

日によって、テンションもバラバラ。

それでも、

どんな日も、道場に行く。

 

身体の芯を作って、

余計な力みを取り除く作業を繰り返す

それが三枝合気道のベース。

そんな風に、身体を使ってあげると

身体はとても喜んでくれて、

同じ効果が心にも届く。

 

ちょっと乗り気がしない日、

今日は人の顔も見れないなって時も、

道場に行くと、いつものメンバーが

いつものようにそこに居てくれて

いつものように稽古をする。

 

そうすると

道場に行った帰り道は、

とても晴れやかな気持ちになる。

たとえ事態は何も変わらなくても

その爽快感が、明日を繋いでくれる。

 

 

父は、よく

「道場へ行くまでが修行」だと言う。

その言葉通りで、

家族やお家のことを整えて、

仕事や会社のことを整えて、

なんとかかんとか時間を作って行くことが

大変で、だからこそ意味があるんだよ。

あとは、身体を委ねればいいんだよ。と

 

心の元気がない日も、

仕事で頭がパンパンな時も、

人間関係に苦しんでいる時も、

どんな日も、とりあえず、道場に行く。

そういうルーティーンを作っておく。

そうしておくと、また元の “元気” に戻れる。

 

 

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 いつかの道場風景。

 

 

 

 

道着が教えてくれること。

 

そもそも、

なでしこ合気道を始めたきっかけは、

「道着を着ること自体に、まず勇気がいる」

という女性の声を聴いたことからでした。

 

それなら、

武道とまったくご縁が無い方も始めやすい

間口を広げたクラスの提案ということで

道着も着なくてOK♪のヨガ的スタイルで

なでしこ合気道は、スタートしました。

私自身も、始めは出来るだけ道着を着ないで

教えていたのですが…。

 

ヨガウェアの時と、道着の時では、

身体の使い方のバランスが違うのを

何となく感じながらも続けていたわけです。

ところが、ある日、そのギャップの溝が

もう埋められなくなってしまってから

道着姿で教えるようになりました。

 

 

道着を着ることで受ける恩恵は、

大きく三つあります

 

一、丹田が意識しやすくなる

帯を締めることで、

重心が自然と落ちやすくなる

 

一、集中力が増す

ひとたび道着を羽織れば、スイッチが入り、

頭も気持ちも切り替わり、稽古に集中できる

 

一、一体感を産み出す

みんなが道着を着ることで

職業も肩書きも脱ぎ捨てて、

上達という頂きを見据える

ただただ純粋な幼稚園児のような気持ちで

稽古に励むことができ、

それが自然と仲間意識や一体感を育みます。

 

 

 

加えて、もう一つ。

それは、“ 真っ白になる ”

 

白色には、

けがれを払い清らかにする力があるとされ

昔から神事で用いられている色。

道着を着ることで、純粋無垢な心で

まるで神様に奉納するような

謙虚な気持ちになることができます。

 

これはカタチサキ(形先)という概念で

白色を身にまとうことで、

物質から心に働きかけ、誘導するワケです。

カラダを献上するという意味で、

道場では「献体(けんたい)の型」という

オリジナルの型があるほどですが、

達人の技が、神懸かりと表現されるのも

献体状態だからに他ありません。

目指しているのは、それくらいクリアに

“真っ白になる”ことです。

 

合気道は、自分本意なマインドでは

決して上手くいきません。

自意識や自尊心を取っ払って、

初心に帰れる色が選ばれているんですね。

 

白帯もまた、そのような心的作用があり

そんな奥深いシステムまでもが

とても素敵だと思える武道の一面です。

 

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なでしこ合気道は、

もちろん今も道着なしで参加OK!!で

強制はまったくしていませんが

気づけば道着を買われて参加くださっている

姿を拝見すると、嬉しくなっている私です。

 

 

 

昨日は、なでしこ合気道の30回目でした。

30回なんて大したこと無いじゃん

と一蹴されてしまいそうですが、

24時間365日体制、いつ何時でも

ひとたび電話が鳴れば、即出動が当たり前。

そんな助手生活の中で、なでしこ合気道

時間を確保することは、それなりに難儀で、

とても大きな意味を持つ試みでした。

おかげ様で、みなさんに育てて頂きながら

今では、男性クラスを三木師範代が指導する

市民権まで得たことに感慨深い思いでいます

 

昨夜は、初参加の方もいらしたので

これまでのスタイルを少し変え、

一回でも参加した甲斐があるように

三枝メソッドの基本をしっかり練習しました

そして、回数を積み重ねられてきて、

身体の感覚が目覚め始めた常連の方達には

引き続き、その感覚を磨いていただきたく

小樽道場へも積極的に参加できるよう

そのステップになるような指導を心がけて、

年内目標にいたします。

 

 

 

次回のなでしこ合気道は、12月2日(金)

初めての方も勇気を持って是非、どうぞ。

 

 

nadeshikokana.hatenablog.com

 

 

 

アナタがあなたに会いに来る。

 

人は、比べる生き物。

でも、他の誰かと人生を比べても

あまり意味はない。

比べるなら、今世の自分とがいい。

 

記憶というのは、曖昧なもので

時系列を並び替えてしまうことも多々ある。

ましてや、日々の思いつきや、小さな決意は

頭を通り過ぎて、日々の雑念に紛れ

いつのまにか忘れてしまうこともある。

だから、記録をする。

三年日記というアイテムを活用して。

 

 

私は、今年で4冊目。

書き続けて、かれこれ十年になる。

三年日記のメリットは、

去年の自分とすぐに比べることができること

新しいノートに新調した一年目の今年は、

去年と見比べることもなく書いていた。

そんな中、稽古中に師から

三年日記の話が出たので、久しぶりに

過去の自分に会いに、日記を読み返してみた

 

 

毎日が充実していると案外、

日記は密度が薄まるものだし

逆に、ヤケになっている時も

日記なんて更新できないよ、という

心情が見て取れるのも面白い。

 

何のために書くのかと言えば、

それは、最高のライバルで親友の

自分との約束を忘れないため。

加えて言うなら、

“今”を大切に生きられているかを

見るための目安帳かもしれない。

 

 

過去9年の私は、未熟な自分に対して

日々、悔しさを覚えていて

明日に向かって叱咤激励を綴り、

出会ってきた魅力的な人達への純粋な賛美と

そこから希望を見出そうと必死な姿。

未来の自分が読むんだからと、

苦しい時も愚痴で終わらないように

書いているのがいじらしい。笑

 

 

少し前の自分は、

過度に自分を責めていて

勝手に苦しんでいたのを思い出す。

若さのせいかもしれない。

 

日記を読み返してみて、気づいたのは…

そんな自分を救ってくれたのは、

断捨離ライフの試み

それが俯瞰力の筋トレとなり、

削ぎ落とした先に自分なりに見出した

ブログやTwitterを利用した“発信”活動

 

そのおかげで私は、ずいぶん

ラクに生きられるようになったんだなと

今朝、気づかされたところ。

発信することもまた、

客観性を育む作業なのですね。

 

 

 

そんな風に自分を見つめるツールになり得るのが、

三年日記なワケです。

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あなたが、アナタに、会いに行き、

アナタが、あなたに、会いに来る。

落ち合うのは、三年日記の扉の向こう。

 

 

 

今年は、特に劇的な一年で

出逢いに感謝するばかりの私です。

 

あなたも、始めてみませんか?

 

 

 

 

具体的に何を書くか、のヒントは過去記事からどうぞ。



 

 

プリンシプルを目指して。

 

三枝流メソッドは、

一、常に検証できるものである

一、本質を捉えることを目的としている

一、日常生活に落とし込めるものである

という特徴があります。

 

私がボディワークを学ぶ時に

大切にしていることは、

“ プリンシプル(principle)”

 

つまり、

もっとも“ 核 ”である部分に触れること

できれば、その“ 核 ”を掴むこと

そして、その“ 核 ”をいつでも再現できること

そんなことにフォーカスしています。

 

例えば、クラシックバレエでも、

相撲でも、スキーでも

合気道と通ずる部分があるわけです。

それを私は、プリンシプルと呼んでいます。

 

とりわけ、大事なのは、

仙骨(せんこつ)の扱い。

それから、身体を使う時の“ イメージ ”。

この2つではないでしょうか。

もちろんそれに追随する筋トレや

固定観念を大幅に変える脳トレ

必要になるわけですが。

 

三枝流メソッドは、オリジナルの

トレーニングがいくつもあります。

五体満足であれば、自称・運動オンチでも、

誰でも同じようにできる仕組みでありながら

それぞれの身体能力に合わせて、

アジャストできるように構成されているのが

このメソッドの優秀ポイント。

 

 

ちなみに… 五体満足でなくとも、

これらのトレーニングはできます。

格好が少しばかり変わることはありますが、

むしろ、オススメなトレーニングです。

五体不満足』の著者・乙武洋匡氏の

身体の使い方は、前述した、仙骨の扱い

身体を使う時の“ イメージ ”が抜群によく、

実は、彼の身体の使い方をイメージしながら

私はよく合気道の稽古に取り組んでいます。

 

 

 

持って生まれた、己の身体を

生き生きと生かして

生を全うしようじゃありませんか。

 

 

なでしこ合気道@sapporoすすきのは、

本日、19:00〜。

なでしこ合気道 for menも、やりますよ。

 詳しくは、こちら↓↓↓


五体不満足 完全版 【講談社英語文庫】

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人は、逞(たくま)しさがあるからこそ、

穏やかさが生まれるのだと思います。

穏やかで、凛とした芯がある女性。

それこそが、

なでしこ合気道が目指す

大和撫子像です。

 

それはプリンシプルの先にある。

 

 

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整える。

 

言葉というのは、

一度イメージがつくと

それを払拭して、

書き換えることが困難だ。

 

例えば、断捨離というと、

「モノをバッサリ捨てる」

もしくは、「モノを捨てる行為」

だと思っている人が多い。

捨てる行為の免罪符として使われると、

何とも惜しい気持ちになる。

 

それは、人の第一印象に似ている。

第一印象が当たっていることもあるけど

受者のコンディションや偏見

紹介者次第で、実像とは違うイメージが

インプットされることも多い。

初めて会った時は、ピンとこなかったのに

今はすっかり仲がいい。という経験は

誰にもあるはず。

 

 

最近、今一度、生活を整えている。

食べるものや、身体の使い方、

メンテナンスで、体を整えることも大事。

でも、日常生活を整えることは、

もっと大事だと思う。

 

いわゆる潜在意識に働きかけてしまうから

目に映るものに対して、無頓着でいることは

夢を実現させる弊害になる。

と、多くの自己実現系の本に書かれている。

 

私も同感だけど、

そう難しく考える必要はない。

というのが最近の感想で。

 

やってみて、ぜひ

体感してほしいので、

ここでシェアします。

 

人は無意識に目に映り込むモノの

波動を受ける。無意識に。

それだけで頭が忙しくなる。

 

日常生活において

出入りを繰り返す自宅が、

心地いい場であれば、

リラックスにもいいし

充電場所にもなる。

毎日開ける化粧ポーチ、

ペンケース、カバン、財布。

こういうモノとも、

日に一回は、目を合わせているはず。

 

使ってないものは、ないか。

古くなっているものは、ないか。

ましては、「もうボロいな」とか

「もっとイイ物がいいのに」とか

心の中でグチりながら、

仕方なくその物を使っていないか。

 

自分がお手伝いさんで、

そんなご主人だったら、こちらだって働く気がしない。

「いつもありがとうね。」なんて労ってもらったらやる気も起きるというもの。

 

そんなことを見つめ直す。

案外モノは、なくても暮らせるのに

依存心や不安な気がするだけのモノも多い。

習慣化していることは、前述したように、

思い込みというコトも多々あるもので。

 

そういうものを、

もう一度、見つめ直す。

新調する前に手放してみる。

代用が効くものも、結構あるんです。

工夫すると、もっと楽しかったりする。

 

モノが減ると、心が軽くなる。

すると、重い腰まで、軽くなる。

「あとでアレをやろう。」が

「あ、」と思ったらすぐできるようになる。

 

すると、色んなことが

サクサク進んで、効率が良くなる。

 

そういう生活をしていると

身体に余分な脂肪もつかなくなる。

スマートな暮らしをしている人は、

スマートな身体つきをしている。

 

波動というと、分かりにくければ

エネルギーと言ってもいい。

身の回りのモノが軽やかなエネルギーを

発してくれるなんて。

素敵な応援団を持つようなもの。

 

あらゆるものを、収納してみる。

収納できるだけのモノのみを持つ。

例えば、台所のスポンジや

ゴミ箱や、シャンプー、リモコン、コード類。

メールの受信トレイを空にしておくのもいい。

 

「えっ、そんなものまで?」というモノに

着手すると、景色が変わっている。

 

 

すっかり整った自宅で

いつもより早いスピードで

ブログ更新できているのが何よりの証拠。笑

 

 

 

唯一、代用が効かないモノ。

それは、人なんだと思います。

 

今、息をしている、

あなたにとって大切な人と過ごすのに、

限られた人生の時間を使ってください。

人に与えられた時間は、

いくらあっても足りない程なんだそうです。

 

 

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私の中では、これらすべてが断捨離のプロセスなのですが。

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